ゴルフというスポーツでは、何回でも儚い開眼を繰り返すようであるが、人生では一度か二度、解脱とまではいかないが、蝉蛻する時がある。
今から10年程前、私が50歳間近の頃である。当時の私は、「人生は一度限り。死は自分の全ての終了。ならば、この世に生きていた自分の証を何とか残したい。何を残せるか。早くしなければ。」と、悩んでいた。九州での単身赴任生活では寮に帰っても話し和む相手もなく、盲目感と焦燥感がピリピリと私を包んでいた。
そんな時読んだ一冊の本が私の魂を衝撃的、決定的に打ち鳴らした。その本は、福島大学の飯田史彦さんの「生きがいの創造」。感動し、是非多くの人にも読んでほしいと思い、すぐに他人に譲ってしまったので今は手持ちになく正確には伝えられないが、自分の受けた印象も含めると以下のようだった。
「輪廻思想に基盤を置いており、魂は永遠に生き続ける。魂は何度も現世での生死を繰り返しながら進化していく。石、木々、動物、人間も。人間には周りに指導者たる者(魂)が数人存在し、次の世でも同じ魂達が姿立場を変え見守り導いていく集団で生き続ける。現世で人間的な成長を続けることに努力し、生死を繰り返すうちに、最後は人間を卒業し神のような存在になり喜怒哀楽のない平穏な世界に到達する。」
読み終えて過去を振り返ると、今まで自分に影響を与えてきた人達が先導者のように見えてきた。何本かの赤い糸が見えたような気がした。自分の前世は誰だったのか考えてみた。そうだ、300年程前のあの人だ。そういえば、子供の頃から妙にあの人が気になっていた。記憶も重なるようなところもある。性格も似ている。間違いない。私の魂は永遠だ。人間は生まれ変わるんだ。現世で全てが終わるわけではない。現世で自分なりに出来るところまでやればよい。来世でその続きができるはずだから。
こう考えるようになって、急に肩の力が抜け足元が軽くなった。視線も足元から前方遠方へと変わった。道を歩いていても草花が友達のように身近に感じられ、虫の声も聞こえるようになった。季節の移ろいを感じる体質に進化した。
この時、私は始めて蝉蛻したと感じた。
(補足) 蝉蛻:俗事や古い因習から抜け出ること。せみの抜けがら。
(蛇足) 解脱:仏教で、悟りをひらき、この世の煩悩から抜け出ること。