西成恭介というヒト

男が子供を生むことがある。
男の自分が40年程前に生み、名付けた名前が西成恭介。私のペンネームだ。

当時、化学専攻の大学生であった自分には、洋服屋さん小説作家になりたい夢があった。自分で勝手に西成恭介と命名し小説を書き始めたが、化学の勉強が忙しくなり中断してしまった。

高校二年生の初めの頃は化学が大の苦手で、アルミニウムの元素記号「Al」は「A」という元素と「l」という元素から出来ていると思っていた程の不勉強で、成績はクラスの最下位を占めていた。これではいかんと一念発起し、夏休み中に化学の教科書を徹底的に見直した。これは効果があった。三年生のときは、化学については学年のトップクラスにいた。化学が得意という理由だけで、大学は何となく化学科を選択した。物事の本質を突き詰めるのが好きな自分にとって化学の勉強は楽しかった。化学を使って新しい商品を創る仕事をしたいと思い化学会社に就職し、あっという間に30数年が経ってしまった。

何故、55歳で退職し二毛作目の人生を始めたかは「人生は二毛作」に書いた。これからする仕事は、若い頃になりたかった職業を選びたかった。文筆業を選んだ。仕事が文筆業とは言っても、まだ作品はなく40年程前に命名した西成恭介というペンネームがあるだけ。1年に1本書けば、平均寿命まで生きるとすると、今から20本は書けることになる。いつ死ぬかは判らないが、1年1本を目標に夢の実現を目指していくことに決めた。

西成恭介というヒトを育てる人生が始まった。

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幸せの仕組み

人は皆誰でも幸せになりたいと願っている。不幸を望む者など一人としていやしない。しかし、現実には、自分が不幸だと思う時は多々あるが、自分が幸せだと思う時は少ない。このギャップは何故生じるのだろうか。そもそも幸せって何だろうか。

誰でも幸せになるために名誉、財産、健康、友達、愛情等々を求める。その目標の結果を得たときに満足感と幸福感を感じるが長続きはしにくい。いつも、「自分だけの・・・」「物理的な価値のある・・・」を求めているから。単に、お金や物を集めてみても、結果としてそれだけでは幸福にはなれない。1では不満だが10で満足する。10にはすぐ慣れ不満となり100で満足。100にはすぐ慣れ・・・の繰り返し。人間は順応性が高いから価値観が相対的に変わり、いつまでたってもゴールにたどり着かない。

一方、自分が不幸だと思うことは病気、怪我、破産、死別、失恋等々数え上げたらきりがない。骨折しても、その時はついていない、不幸だと思っていても、十分な時が経つと、骨折した部位を擦りながら妙に懐かしい少し幸せな思いを感じることもある。不幸は必ずしも不幸であり続けるとはいえない。時として幸せにも転化することもある。

「他人のために・・・」が自分に跳ね返ってくる。
自分が一歩引いて相手に譲れば、相手は少し幸せな気持ちになり、相手のその気持ちが自分に跳ね返ってきて自分も少し幸せな気持ちになることが出来る。相手は、自分と同じ立場になった時同じように一歩引いて譲れば、またその相手も少し幸せな気持ちになり、幸せの連鎖が続いていく。しかし、初めに自分が相手に一歩先を越せば、相手はムッとし不機嫌になり、自分はその不機嫌さを感じ取り、自己嫌悪に陥り自分自身も不機嫌になっていく。
ほんのちょっとした個人の行為が波紋のように周りに拡がっていく。幸せの波紋も、不機嫌の波紋も。こんな波紋が折り重なりあい、大河の如く流れているのが、世の中の日常。
一人ひとりが、ほんのちょっとした気持ちで一歩引けば、世の中はガラッと良くなるのだが。

幸せ」とは、単に物理的にものを獲得した結果ではなく、他人のために一生懸命した行為に他人が喜んでくれたこと自分は幸せと感じさせるように、「与えることにより得られる仕組み」にもなっている。

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蝉蛻(せんぜい)の時

ゴルフというスポーツでは、何回でも儚い開眼を繰り返すようであるが、人生では一度か二度、解脱とまではいかないが、蝉蛻する時がある。

今から10年程前、私が50歳間近の頃である。当時の私は、「人生は一度限り。死は自分の全ての終了。ならば、この世に生きていた自分の証を何とか残したい。何を残せるか。早くしなければ。」と、悩んでいた。九州での単身赴任生活では寮に帰っても話し和む相手もなく、盲目感と焦燥感がピリピリと私を包んでいた。

そんな時読んだ一冊の本が私の魂を衝撃的、決定的に打ち鳴らした。その本は、福島大学の飯田史彦さんの「生きがいの創造」。感動し、是非多くの人にも読んでほしいと思い、すぐに他人に譲ってしまったので今は手持ちになく正確には伝えられないが、自分の受けた印象も含めると以下のようだった。

「輪廻思想に基盤を置いており、魂は永遠に生き続ける。魂は何度も現世での生死を繰り返しながら進化していく。石、木々、動物、人間も。人間には周りに指導者たる者(魂)が数人存在し、次の世でも同じ魂達が姿立場を変え見守り導いていく集団で生き続ける。現世で人間的な成長を続けることに努力し、生死を繰り返すうちに、最後は人間を卒業し神のような存在になり喜怒哀楽のない平穏な世界に到達する。」

読み終えて過去を振り返ると、今まで自分に影響を与えてきた人達が先導者のように見えてきた。何本かの赤い糸が見えたような気がした。自分の前世は誰だったのか考えてみた。そうだ、300年程前のあの人だ。そういえば、子供の頃から妙にあの人が気になっていた。記憶も重なるようなところもある。性格も似ている。間違いない。私の魂は永遠だ。人間は生まれ変わるんだ。現世で全てが終わるわけではない。現世で自分なりに出来るところまでやればよい。来世でその続きができるはずだから。

こう考えるようになって、急に肩の力が抜け足元が軽くなった。視線も足元から前方遠方へと変わった。道を歩いていても草花が友達のように身近に感じられ、虫の声も聞こえるようになった。季節の移ろいを感じる体質に進化した。
この時、私は始めて蝉蛻したと感じた。

    (補足) 蝉蛻:俗事や古い因習から抜け出ること。せみの抜けがら。
    (蛇足) 解脱:仏教で、悟りをひらき、この世の煩悩から抜け出ること。


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人生は二毛作

会社の制度も移り変わり、定年は55歳から60歳となる世の中になった。
新聞によると、年金支給に合わせて段階的に65歳まで延長しようという大会社まで現れている。
平均寿命が延び人生80年となった現在、定年後を如何に過ごすかは人生の大問題。

今から3年前のことである。当時私は55歳、定年後の人生設計を決めかねていた。
一般的なサラリーマンである自分には、主に三つの選択肢があった。
一毛作:定年時でハッピーリタイア。家でゴロゴロ、時々旅行、気が向いたらボランティア。
二期作:過去30数年間の化学会社勤務の経験を生かし、再就職か技術コンサル業。
二毛作:過去の仕事とは決裂し、自分にとって新しい分野で、雇われることなく自立して、生涯体が動かなくなるまで自分の意志で続けられる仕事を持つ。

一毛作は、イージーで楽チンだが成長がストップするばかりではなく、脳も退化してしまう。何のために長生きしているのかなーと、自己嫌悪に陥ることだろう。
二期作は、最も正統派。もし、高度な頭脳と強靭な精神力があれば、専門を極めその領域で第一人者の地位を築く道もあるだろうが、所詮一般的なサラリーマンである自分には夢のまた夢。
再就職をしても、せいぜい65歳頃までしか働けない。5年程度先送りすることになるだけ。化学系技術コンサルは、特殊能力ではあるが専門化しすぎていてツブシが利かず適職は少ない。そもそも、70歳頃になったら、一体何をコンサルしようというのか、世の中の技術進歩が止まっているわけではない。
二毛作は、新しい分野に挑戦すること自体は楽しいことである。しかし、新しい分野を如何に選択するのか、60歳から取り組んでも能力的にやっていけるような分野があるのか、そもそも取り組む気力体力が60歳まで温存されているか等々、難問は山積み。

55歳の当時、今結論を出さなければ将来一毛作へ流されると思い決断した。
出した答えは、二毛作。生涯現役を貫くこと。そのためには、まだ元気、体力のあるうちに次の準備を始めなくてはならない。55歳で退職した。第二の人生に対し、何の準備もせず、過去の経験にすがることなく、さらの気持ちで飛び込んでいくことが、希望と不安の入り混じった何とも不思議な爽快感を感じさせた。一度自分を突き放してみる。それでどうにもならなければ、それだけの人間だったということ。開き直った。後悔はしない。
かくして、私は「人生は二毛作」の世界に足を踏み入れることになった。

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